3回目 (1999年)4月15日〜5月2日

4月15日 JAL6 成田発12時
お嫁ちゃんのお母様と二人で。日航ホテルに泊まって、朝7時に搭乗手続きをしたので、二階席窓側がとれた。
孫のヨッチャンは、前回来た時、幼稚園を嫌だと言って、辞めたが、その後、NYの方の幼稚園に、1年通って、卒園した。
それから、前回来た時、嫌だと言って、辞めた幼稚園が、家の近くなので、そこへ、通っていた。
アメリカの自由さにびっくり!
タップをならっていたので、そこへ、行って、見学したり、ママの代わりに、一緒に踊ったり。
体操gymに付いて行ったりしていたら、
20日の朝5時50分に三人目の子は、女の子が生まれた。
昼から、息子の車で、NYの病院へ。
部屋には、上の二人の子達も一緒に入り、babyはママの横の移動できるベットで寝ている。上の子達が、覗いて話し掛けていた。部屋のドアもなく、とても自由
だったのが、印象に残っている。
22日 夜9時頃、ママとbabyが退院。



木蓮の木は、こんなに大きくなるのか!とびっくりするほどの大木が。
リンゴの木や、桜が美しい。



30日 孫のヨッチャンとタクシーで、ニューヨークへ。渋滞に巻き込まれて、2時間近くもかかった。
ホテルで孫と二人で、息子が、会社から、帰るのを待ち合わせた。
三人で、NYの5番外街と6番街を歩いた。エンパイヤーステイトビルに上り、夜景を楽しんだ。
「鬼が島」というレストランで、お寿司とうどんを。
孫が、桃太郎 になりきって、飾ってある鬼が島で、鬼退治してた。



5月1日
Pennsylvania のNew Hopeへ、息子の車で、孫達二人を連れて、ドライブ。
ペンシルバニアは、ニュージャージーとデラウエア川を挟んで、隣り合っている。
古き良きアメリカの町並みが残っている。
New Hopeは、ニューヨーカーの軽井沢的存在で、アンティークショップやおみやげ屋が、
メインストリートに並んでいた。
私は、ステンドのお店が気に入って、窓に飾るのを買った。
孫達と蒸気機関車に乗り、のんびりと綺麗な自然がいっぱいのこっている景色を楽しみました。
長い行列に並んで、レストランで、アメリカらしい料理を。


アメリカは、子供連れでも入れるレストランが多かった。
退屈しないように、ぬり絵やクレヨンを持ってきてくれたり、ちょとの粗相は、目をつぶってくれたりで、
生活しやすかったです。
ありそうで、無い物は、ハンカチ!売っていないし、アメリカ人は、使わない。
缶コーヒも売ってない。
スーパーのレジは、ちょっと日本と違っていた。
野菜は、ポンド当たりの値段が表示されていて、自分で近くにあるはかりを使って、目方を確認して、袋に入れる。
レジに行くと、ベルトコンベヤーがあって、お客は、ここに買った物を並べます。
もし前の客の品物が、まだコンベヤーの上にある時は、区切り棒があって、それをコンベヤー
に置いてから、品物を並べます。レジが済んだ品物は、レジの人が、スーパーの袋に入れてくれます。
最後に、サインをして、クレジットカードで支払いをすませます。


5月2日 私は、一人で帰国。
息子の車で、自由の女神の像が見える港の方を通って、ケネディ空港へ。
孫のヨッチャンが、見送ってくれた。

『授かりし あこを抱く嫁 世話し給う その母の愛 ただ美しく』

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